『欲望する脳』には、現代社会の特徴として、「欲望を消費するシステム」の横行と並んで、「負のスパイラル」という概念が上げられています。欲望を消費するどころか、八方塞がりになり、生気のない人生を送ったとしても、「社会人」として成り立つ世の中だというのです。たとえ陽光降り注ぐ街中を歩いていても、当の人物の心模様は果てしなくアンダーグラウンドという訳です。そういう人は昔からいたでしょうが、現代は深度が深く、見た目にも判りにくいのかも知れません。アングラ人間は、犯罪者に繋がりやすい一面もあるでしょう。欲望の消費に夢中になるのとは対照的かも知れませんが、これもまた“醜い”生き方ではないでしょうか。
さて、読んで下さってる方は「美しく生きる」というタイトルをどうお感じでしょうか?私が提示しておきながら言うのもなんですが、胡散臭い感じはしないでしょうか?表現不足な気もしたんですが、敢えて“違和感”を発生したままにしておこうという気持ちもあります。
「美しい生き方」という定義を考える場合、最初の方でも述べた通り、自分の醜さを把握した上での「美しさ」であって欲しいのです。「品行方正」とか「落ち度なし」という完璧さを求めるものではありません。
人間本来の醜さや不安定さ、曖昧さといったものを無視して「美しく生きましょう」と訳知り顔に宣う風潮も、現代社会(というか歴史上の社会でも)に見られるんじゃないかと思います。これの恐い所は「教条主義」からカルト化に走り、盲目的な人間を造り出す可能性が有る事です。
社会主義が“崩壊”した理由には「教条主義」を徹底し過ぎた一面もあるらしいです。所謂「ああしなさい」「こうしなさい」が多過ぎて、その裏で、本来なら平等な社会が実現しなければならない所、甚だしい「貧富の差」が発生していたのが崩壊に至るヒビ割れの一つになったそうです。
現代社会を視野に置いた発言ではなかったかも知れませんが、日本は「最も完成された社会主義」という説があります。日本国民の「右へ習え体質」を揶揄したものだと思います。接客業のマニュアルみたいに細かい指示を与え、受け側もマニュアル通りにやる事で安心する一面が有ります。余りにマニュアルに忠実にやると、小学生が来てもヤクザ者が来ても何ら変わらない対応になり、現実的でなくなります。
マニュアル云々を抜きにしても、理想的な仕事の進め方は、やるべき事の“ポイント”を把握して自分なりに考えて“応用”していく事だと思います。そうすると、たとえ因縁を付けに来た客でも応対が出来る筈です。
マニュアルは、まるで階段を昇るように“整然”と積み重ねてありますが、実際の仕事や人生がトントン拍子に行く訳がありません。突然、落とし穴が現れたり、急な坂を四つん這いになりながら登らなければいけない時もあります。
そして、落とし穴や急坂を体験した方が充実した人生になると思います。
欲望を消費するだけの人生も、アンダーグラウンドな思いしか抱けなくなった人生も、マニュアル頼みの人生も、どこか虚しい気がします。
では、どんな人生が“美しい”のか?もう少し続きそうなので次回に回します。
(つづく)
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