時の流れに身をまかせ
コップに水が半分入っている場合「まだ半分」と考えるか「もう半分」と考えるかという例え話があります。通常は「まだ半分」と捉え前向きに生きるみたいな展開となりますが、「もう半分」と考えたって「水を大事に使おう」と前向きになるんじゃないかとちょっとひねくれた考えが浮かびます。なぜそう思うかと自問自答してみました。そもそも物事を「量的」に捉える姿勢が嫌いなんだと思います。「コップ」という閉じた空間をイメージするのも嫌いです。
人は自分の終わりを意識しないで(できないで)生きるものだと思います。ナイーヴな問題なので他意はないことをお断りして書きますが、たとえ余命を宣告されたとしても、ピタリと宣告通りには人生は閉じられないと思います。少なくとも死ぬまではその人は生き続けます。
人生において、自分が閉じられた空間に入り込んだ、水の量が見えたと思う事が時にはあります。でも本当はそんなものはないんです。実際に人間はいずれ死ぬんですけど、人生を生きる上では(思いの中では)死なないんだと思います。実際に時間は過ぎて行くし、歳は取っていくんだけど、だからといって怖れを感じる必要はないし、死ぬまで生きれば良い事と、達観めいた思いにも至ります。そこまでくると、子供のような自分の屈託の無さに、また出会えるんでしょうね・・・。
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