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孔子とニーチェ

最近本を2冊買いました。まだ読み終えてませんが、慨略紹介という形で書いてみます。

J
●茂木健一郎著『欲望する脳』(集英社新書)

http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0418-g/index.html

孔子の『論語』に「70歳にして、自らの欲するままに生きながら、倫理的規範を逸脱しない域に達した」というような一文が有るそうです。本来「欲望」は「倫理的規範」によって制御されています。脳の働き上も、同様の制御機能が有るそうです。つまり、欲望のままに生きたとしたら、倫理的規範の枠内には収まり切れるものではないという事です。となると、孔子の言葉の真意は何なのか?・・・この疑問を軸に論理が展開されるようです。

現代社会は、便利な分だけ我慢をする必要もなく、欲望が、易々と、激しく消費されています。そんな時代に孔子の言葉はどんなメッセージをもたらすのか?「脳科学」という、人間の行動の源泉を“具体的”に説明してくれる学問をモノサシに、興味深い話が展開されるようです。

O
●斎藤孝著『座右のニーチェ』(光文社新書)

http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=01000000...

著者は、ニーチェの『ツァラトゥストラ』を常に手近に置いて“日常的”に読んでいるそうです。ニーチェと他の哲学者の違いは、実生活を視野に入れている部分だそうです。日めくりカレンダーの格言をもっと深遠化したものといえるでしょうか?恐らく、各人が自分の人生に於いて経験した事の、不確かな様相を明確化するパワーがニーチェの言葉には有るんじゃないかと思います。私も、昨年でしたか「世の中には真実はない。ただ無数の解釈があるだけだ」というニーチェの言葉を知り、文章を書く時の“出汁”代わりにしています。書く内容が、他を寄せつけない“絶対的”なものにならないよう、自分なりに心掛けています。

ところで、孔子も「生活知」と表現できる、俗世間で生かせる思想の“導師”だそうです。

私は、『論語』も『ツァラトゥストラ』も読んでおらず、孔子やニーチェに関する知識も皆無に近いですが、高邁な思想以前に、人間臭さを感じる地平から紡ぎ出された言葉であるという点に非常に興味が有ります。

そういえば、茂木さんと斎藤さんも、高い知性の前に取っ付き易さを先ず感じる「知識人」ですよね。

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