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美しく生きる(1)

かつて「村上ファンド」の村上某が、「金を儲けて何が悪い」とうそぶきました。彼の場合は犯罪の疑い有りとされた訳ですが、法に触れなければ金儲け至上主義は成り立つのかという思いに捉われました。大抵の人が「反感」を持ったと思いますが、「反感」の大元には「倫理的観念」があるんじゃないかと思います。強欲は慎むべきといった“教え”に思いが至るのでしょう。なぜ、その“教え”に従う人が多いのでしょうか?強欲は、罪だから避けるのではなく、醜い行為だから避けるのだと思います。なぜ“醜い”と厭なのか?自分自身の精神(心持ち)が乱されるからだと思います。「気が済まない」んでしょう。

もちろん人間である以上、強欲や我が儘が全く表面に出ない人の方が珍しいです。そういう醜い部分を意識しながら、美しく(真っ当に)生きていくのが大抵の人の人生だと思います。ある意味自分の醜さに気付く事が美しい姿勢かも知れません。

「醜い行為」という概念、茂木健一郎著『欲望する脳』から拝借しました。更にこの本によると、人間の脳の働きの中には、他人を鏡にして自分の存在を自覚するというものが有るそうです。また、4歳ぐらいで自分には感情が有る事を自覚する(感情をコントロールできる)と同時に、他人にも感情が有る事に気付くそうです。

脳の働きというと、その持ち主に関する能力を高めていくイメージが有りますが、社会性(他人との関わり)を重要視している側面があるんですね。もっとも、よく考えれば社会性を無視して本人の成長は無いでしょうから、方向的には一緒になるわけですけど・・・。

しかしながら、人間は機械ではないですから、プログラム通りに動く訳では有りません。自我の強烈な形態ともいえる「強欲」が、人間の心に芽生えない筈がないというのは先述した通りです。

真に問題なのは、強欲に走ってしまう事より、自分の行為が強欲の結果である事に“気付かない”事でしょう。自分の醜さが判らないのです。
『欲望する脳』によると、IT技術が発達した現代社会だと、倫理的観念に抵触する行為(醜い行為)が判りにくくなっているそうです。「欲望を消費するシステム」が横行し、あまりにも簡単迅速に使える為、使用者側に“分別”が付きにくくなっているそうです。ワンクリックで儲ける金と、汗水垂らして手にする金では同じ金額でも、人間の精神内では等価ではないという事に思いが至らないのです。

「投資」は相手企業にも出資者にもメリットが発生するそうですが、「投機」は行為者(と仲介者)のみにメリットが有り、しかも儲けた人間が居れば、へこむ人間が必ず居るそうです。前段で「ワンクリックで儲ける金」と表現したのは、「投機」も含まれています。しかし、茂木さんも触れてましたが、「投機」している人が非難されるべきかというと、そんな事はないと思います。社会システム上認められているからです。ただ、バブル時代の不動産取引みたいに、いつの間にか綻んでいくような気もします。サブプライムローンも、取引の対象になって、散々儲けた人間(会社)がスッと手を引いた為、ガタガタになった面も有るそうです。

(つづく)

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