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美しく生きる(2)

動体視力に長けた青年が、パチスロやスロットで、必ず数字を並べる事が出来るので、それで生計を立てていたという話。不正行為ではないので店側が追い出す訳にはいきません。器械を改良(店にとっての改良)して、ボタンを押す方式を止めるとかするぐらいが関の山でしょうが・・・多分こういう人は少数なので店の経営を揺るがす事にはならないでしょうから、何も手を打たないんじゃないかと思います。すると青年は儲け放題となります。

幸いにも彼は自分の“醜さ”に気が付いた様子で、いつまでも続けるつもりはないみたいな事を言ってたと思います。

彼のように、自分の“労働”がいくら能力を生かしたものでも美しくないと気付けば良いのですが、甘い蜜を吸うのを止めるには勇気が要ります。

彼には罪はないのです。パチンコ業界の過当競争が生み出す甘い蜜が問題なのです。更に言うなら、パチンコ業界が悪い訳でもないと思います。「もっと玉を出せ」というニーズが有っただろうし、生き残る為には「小遣い銭を稼ぐ程度の遊び場」ではどうしようもないのです。「欲望を消費するシステム」には限りがないし、誰彼が作ったというものではなく一種の“ムーヴメント”だと思います。それに乗る乗らないは個人の自由だし、乗るんだったら自分でコントロールする姿勢が肝要だと思います。

脳には欲望を規制する働きもあるそうです。「欲望を消費するシステム」が横行している世の中では、自己規制も掛けにくい状況だと思います。脳が本来持つ「脳力」を発揮できるかどうか(規制機能の発揮)という問題も出てきます。その為には何が必要かというと「教育」でしょうか?「道徳教育」?・・・それも有意義かも知れませんが、「脳力の発揮」という事を考えるなら、先ずは「育児」ではないでしょうか?

赤ちゃんの段階の人間は、母親や周囲の物を触る事で自分の存在も確認していると言います(ダブルタッチ)。母親からの積極的なスキンシップに努めると共に、赤ちゃん自身の自発的な動きを見守りフォローしてやるという“ごく一般的な育児”で十分「脳力」は発達すると思うんです。

育児放棄(何もする気がない)と過剰な干渉(こうしなければいけない)というのが、「脳力」にとってマイナスな手段の両極じゃないかと思います。この範囲内を試行錯誤しながら、赤ちゃんと共に歩む意識があれば、いっぱしの人間に育つんじゃないかと思います。あくまで私個人の意見です。

「育児放棄」というキーワードから「負のスパイラル」、「子供への過剰な干渉」から「教条主義・マニュアル主義」へと論を展開したいのですが、長くなりますので次回とします。

(つづく)

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