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黒人音楽の歩み(1)・・・アフリカからアメリカへ・序説

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●参考書籍・・・ロバート・パーマー著『ディープ・ブルース』(JICC出版)
●参考サイト・・・白人による黒人奴隷貿易とアメリカの奴隷制度
※アフリカの国名は、参考書籍のままに書いています。現在と国名が違うかも知れませんがご了承下さい。きちんと調べがついたら訂正します。

アメリカにおける黒人音楽の歴史を辿るには、忌まわしい「奴隷制」の話から始めなければなりません。奴隷貿易は16世紀にスペインが始め、18世紀の産業革命で他のヨーロッパ諸国をリードしたイギリスがかなり進めたようです。変な角度から見ますと、後に黒人音楽の恩恵を強く受けた若者たちが、自分達の手で「ブリティッシュ・ロック」を創り上げる訳ですが、その大元は自分の祖先たちの非人間的な行為に端を発していた訳ですね。

アフリカから「貿易商品」として、アメリカに売買された黒人・・・その気持ちは計り知れないものですが、このとてつもない哀しみの歴史が、あれだけディープな音楽を創り上げたのもまた事実です。

アフリカ大陸の、どの辺りが貿易地であったかというと、主に西海岸となります。初期の頃は、北部をサハラ砂漠と接するセネガルとガンビア地方=通称「セネガンビア地方」が供給先でした。貿易量が増えてくると南に下り、通称「奴隷海岸」と呼ばれる地域=シエラレオネ、ガーナ、トーゴ、ナイジェリア、カメルーンが対象となり、更には第三の地域としてもっと南のコンゴ川河口が対象となったそうです。1807年には米英両国で奴隷貿易は公式に不法とされたのですが、「奴隷海岸」以南では密かに行われていたそうです。
南北戦争が勃発する1860年頃までは続けられていたそうです。

リンカーンの「奴隷解放宣言」は1863年。やっとアメリカ黒人は人間として形式上認められたのですが、たとえばそれから100年経った時点でも、人種差別闘争は行われていた訳です。根深いですね。今だに米国務長官に黒人女性が選ばれると、「黒人女性初の」という冠が付けられます。我々はそれをどう考えなきゃいけないの?ライスさんの事を知る事は必要だけど、彼女が黒人である事をどう処理しなきゃいけないの?何も必要ないでしょ。彼女の働きを期待すれば良いんです。

ちょっと話がずれちゃいましたけど、このままいきます。本当は「黒人音楽」というカテゴリーも問題があるのかも知れません。特に現代では全く分ける意味が無いなあと思う事もあります。しかし、今まで私が聴いてきた「黒人音楽」はやはり分かれてるんですよね。
別に私は差別主義者でも無いし、結局今までのペースで考えていきますけど、今回黒人音楽のルーツを探るために「奴隷制」というテーマに触れて、「黒人音楽」というモノサシでじっくりと、こういう社会的・歴史的問題も考えていきたいと思った次第です。

さて、今回はアフリカの「セネガンビア地方」と「奴隷海岸」辺りの音楽の違いと黒人音楽への影響まで書きたかったのですが、次回に回します。今回は「序説」という事でご勘弁を。

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投稿: Robertsib | 2020年5月 1日 (金) 17時22分

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