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山口淑子 藤原作弥著『李香蘭 私の半生』

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社会で生活している以上、全く社会の存在を無視して日々暮らす事はできません。いくらガソリンの価格を半分にしろといっても、現状すぐに自分の思い通りの値段になるものではありません。しかし、意見を言う事はできるでしょう。

これがもし戦時中だったら、意見さえ言う事ができず、「国家」の思惑通りの生活を強いられる事になるのでしょう。山口淑子さんが共著の形でまとめられた本書も舞台は戦時中です(日中戦争~世界大戦)。山口さんは「李香蘭」の名で中国~日本で歌手・映画スターとして活躍されました。この本に描かれているものは華やかな経歴というより、戦争に翻弄された人々の苦悩の場面が多いです。スターでありながらスターとしてのアイデンティティー、更には彼女本人のアイデンティティーが醜い戦争の掌中に握られているのです。

山口さんは日本人の父母を持ちながら中国で生まれました。父親は中国への対立意識は持たず、理解の有る要人とも交流がありました。李際春将軍もその一人。彼とは家族同士が強い絆で結ばれ、娘(淑子さん)も李将軍の娘として扱われました(義兄弟ならぬ義家族でしょうか?)。その時将軍より授けられた名前が「李香蘭」です。従って彼女にとってはこの名前は取って付けた芸名ではなく、もう一人の「親」から授かった名前なのです。

中国語が完璧に話せた山口さんは北京の女学校に中国人として通います、学校は抗日運動が盛んで、山口さんも日本人である事は明かせず、中国人として友達にも本当の事が言えず生活します。ご本人は自分を「中国人」として意識していたのですが、それだけに仲間を裏切っているような感傷があったのでしょう。

歌の上手さも手伝い、「満映」にスカウトされます。「満映」とは日本が中国に侵略して建設した「国家」満州国の映画会社です。従って中国との友好を表向きには口にするものの、日本の優位性を強調する国策映画を主に作る組織でした。そのため終戦後、中国人だと思われていた李香蘭は戦時中に日本に協力した「裏切り者」「スパイ」として当局にマークされます。学生時代~女優時代、自分が日本人であることを名乗りたかった山口さんですが、時代情勢が許さなかったのですが、終戦になると今度は日本人である事を証明しなければならない事態になったのです。

山口さんは自伝を書くに当たって、完全には執筆には納得していなかったのですが、資料として満映時代の自分の作品を観て、あまりの「国策」ぶりに愕然とし、謝意の気持ちもあり、本著を書こうと思ったそうです。

本作を読んでいて、李香蘭本人より周囲の人々が時代に翻弄される姿がよく描かれている気がしました。正に李香蘭本人は国策という掌の中で踊らされていても自分の仕事に一生懸命だったという事かも知れません。

李香蘭というアイデンティティーを、自分としては発揮しようと必死だったのですが、結局自分も大きな力に翻弄されていた事実に気付く事・・・これは無常の悲しみだと思います。それでも山口さんは事実に基づき、他人が翻弄されているさまを見る李香蘭、本人は懸命な李香蘭、時代を置いて戦争と李香蘭を見つめ直す山口さん、という多数の相を提示して、日本だろうと世界だろうと人間が忘れてはならない、考えなくてはならない戦争記録を提示した形にもなっていると思います。その意味で懐の深い一冊だと思います。

この本は私の父親の本棚から持ってきました。父はギリギリ戦争経験者ですが、戦争関係の本をよく読んでいました。父親も他の戦争経験者のようにアイデンティティー探しをしていたのかも知れません。

http://jp.youtube.com/watch?v=TcMdJNC8OUo&feature=related

http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/china/karyu/kouran.htm

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