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蔵の中

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初めて戦前ブルースに出会った時、少し違和感を覚えました。曲全体に圧が加わったようなノイズの中、ギターの音はリリカルなのに、ヴォーカルは唸る、がなる、呻くという風に激しく歪んでいたり、陶酔するような声を出したり、嘲笑したり失笑したり・・・つまりそれまで聴いてきたヴォーカルスタイルと曲調とは余りにかけ離れていたのです。歌詞は聴き取り不能が多かったものの、タイトルもシュールです。黒い蛇が呻くだの、地獄の犬が従いてくるだのヴォーカルの“奇妙さ”を一層際立たせます。

私には色々教えてくれた喫茶店のマスターがいました。私にとっては黒人音楽の“マスター”でもあったわけです。その方が閉店時間の近づいた店で、ある日戦前ブルースを聴かせてくれました。もうそろそろ聴いても好いでしょうというニュアンスで、ターンテーブルに乗せたのはイシュマン・ブレイシー、ブラインド・ブレイク、トミー・ジョンソン辺りだったと思います。<スタックス><アトランティック><チェス><スペシャルティー>から各種ジャンプ・ブルース辺りを聴いていた私は、まだサン・ハウスもロバート・ジョンソンもジックリとは聴いていませんでした。その耳に戦前ブルースは強烈に響きました。 違和感はやがて深い興味となります。剥き出しの感情に隠れがちですが、戦前ブルースには深い哀愁と心の底から湧き起こる生きる力(喜び)が存在しています。喜怒哀楽の折衷状態ともいえます。結局ゴスペルと同じなのだという事がよく解ります。ブルースとゴスペルをルーツとして、常にその存在を忘れない限り、どんなに時代が進み色んな黒人音楽が生まれても深みは失わないと思います。

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エリック・クラプトンが、ロバート・ジョンソンのカバー・アルバムを創った時、試聴して「これを聴くならロバート・ジョンソンを聴いた方が好い(こんな身も蓋もない書き方はしませんでしたが)」と記事にしたかコメントに書いた事があります。クラプトンファンの若い方からコメントを頂き、オリジナルは素晴らしいのでしょうが、クラプトンの魅力も出ているといった内容でした。冷静に考えればこの方の意見は正しいです。なぜならあくまでクラプトンの作品なのだから。私の戦前ブルースにかける思いが勇み足となり、クラプトンが、触れてはいけないものに触れたような気がしたのです。このアルバムをもってロバート・ジョンソンを“解釈”して欲しくなかったのです。コメントをくれたクラプトン・ファンの方にも他の方にも“違和感”を感じてほしかったのです。

CD時代に甦ったロバート・ジョンソンはやたらとリアルでした。LP時代には少し自信なさげな歌い方に聴こえた部分にもドスが効いて、酒臭い息を耳元で吐かれたような気さえしました。これはこれで“違和感”でした。音盤を超えた部分での理解を必要とするのも、戦前ブルースの妙味です。

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コメント

ブルースとゴスペルが、白と黒、善悪、などと区別されることがあっても、同じ感情表現の方法として存在する、ということでしょう。結局、人間、悲しければ嘆き、嬉しければ喜ぶものなんでしょう。

オリジナルを聞くと言うのは大切ですね。決して、クラプトンの演奏から聴けないものが、オリジナルには含まれているでしょうから。
とはいえ、中には、いつまでもオリジナルソックリに弾くことだけを目標を置く人も居る。まあ、マニアックということなんですが、たまにその姿勢に疑問に感じることも有ります。オリジナルだけ聞いていれば事足りるのではないかと。
まあ、ジレンマですね。

オギ

投稿: Ogitetsu | 2009年5月18日 (月) 06時36分

私が大好きな言葉に「変わりゆく変わらぬもの」というのがあります。黒人音楽はその姿勢を失わず今日まできていると思います。マニアックになる恐ろしさは視野が狭くなることでしょうね。ブルースとゴスペルを対比させるのも本来はオカシイことなんじゃないんでしょうか?ブラックネスさえ感じればどんなジャンルもクロイです。

投稿: k.m.joe | 2009年5月18日 (月) 19時40分

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