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イニシエイション

岡本太郎著『美の呪力』を参考に・・・。

原始的社会において、イニシエイション(成人儀礼)は重要な意味を持ち、内容も苛酷なものとして知られています。身体の一部を傷付けたり、高い所から突き落としたりと、死に繋がる事もある厳しさです。

こういった成人儀礼は、受ける側からすれば恐怖におののき、さぞかし厭だろうと思いきや、実は積極的に取り組むそうです。大人として認められる栄誉が死の恐怖に勝るのです。

社会的に、「大人」と「子供」の差がハッキリしているというのも有るかと思います。「子供」は決して一人前扱いされず、儀礼を努めれば扱いがガラリと変わり、権利も得られ社会にも貢献出来る「大人」になるのでしょう。また、死を身近に感じた事で、本人も精神的に強くなり、一人前になったという自信と自覚が生まれるのでしょう。

日本の現代社会における「成人式」はセレモニーであり、「イニシエイション」とは言い難いと思います。現代社会では、「イニシエイション」は個人的に感じるものでしょう。就職した時とか、初めて仕事を任された時、結婚、自分の子供が生まれた時・・・等々、人によって違いが有るのではないでしょうか?

自分で自分が大人だと思う「自覚」、それは「責任感」に裏打ちされると思います。逆に考えると、今の世の中、責任感や自覚を持つ事があやふやになっているかも知れません。「他人のせい」にしやすい社会ともいえます。

別の角度から考えてみます。「大人っぽい子供」+「子供っぽい大人」と「子供らしい子供」+「大人らしい大人」は、比率的に前者の方が高いか、前者と後者の差がかなり開いている感じがします。

また、「大人っぽい子供」が成長(?)した姿が「子供っぽい大人」だと思います。「子供」の時代に自分を既に一人前と思っている為精神的に発達せず、大人になって「大人の常識」が判らなくなってるのでしょう。イニシエイションしない訳です。

現代社会ではイニシエイションは個人的に感じるものと書きましたが、大きく生活が変化したり、精神的苦痛を乗り越えた時などに当てはまると思いますが、「大人っぽい子供」はそれを無意識に避けちゃってるんでしょうね。原始的社会ならともかく、現代社会はそれが可能だから、中々イニシエイションできない場合が多いのでしょう。

精神的苦痛を避けるのは可能かも知れませんが、生活の変化は避けられそうな対象ではなさそうですが、結婚、出産、性体験、人の死といったものがライト感覚で捉えられている実情を考えると、やはりイニシエイションには繋がりにくいと思います。

『美の呪力』が書かれたのは71年。筆者は既にイニシエイションは無くなったと嘆いていますが、現代社会は更に「発展」した分、絶無に近い状態になっている気がします。

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コメント

異論も出ると思いますが、受験というやつは、イニシエションに近いかとも考えたりします。

アメリカでは大学は簡単に入れる、と考える日本人も多いかと思いますが、実際の事情は少し異なり、やはり、良い学校に入るためには、それなりの競争が存在します。

家の娘も最近は目標が定まり、夜遅くまで、勉強をしてるのを見ると、目標の自己設定、それに対する努力などは、やはり子供を大人にさせるのではないかと思います。
イニシエションには、ストレスも付きものだと思いますが、受験もストレスの多いものですよね。

自分自身を振り返っても、受験、不合格、再受験と続いたあの頃、結構、叩かれながらも学んだものも多かったような気がします。

オギ

投稿: ogitetsu | 2009年5月20日 (水) 23時17分

イニシエイションは試練を伴うんでしょうね。そういう意味では受験勉強は人を強くさせると思います。しかし、これも「要領」に走ったらダメですね。

投稿: k.m.joe | 2009年5月23日 (土) 14時10分

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