そしてめぐりあい
http://www.youtube.com/watch?v=DEy05Cde0ss
リトル・ウォルターは、ブルースファンの間では有名なんですが、ブルースハープをアンプリファイド化した人物で、マディのバックでも存在感が有りましたが、自己名義の作品も名作揃いです。
かなり研究熱心な人だったようで、南部のハープ・ブルースのスターだったサニーボーイ・ウィリアムソンⅡのダウンホーム感と、ジャンプ・ブルース界のスター、ルイ・ジョーダンのサックスのような音を目指し(彼に憧れる人多いですけど)、誰よりもでかい音で、誰よりも斬新な音を出そうと執心した人です。
マディも、一緒にやっていたギターのジミー・ロジャースも練習熱心・研究熱心で、ややもすればフィーリングで演奏されているイメージの有るブルース界も、やはりハイレベルな音楽で有る以上、血のにじむ努力と創造性が必要だという事でしょう。
リトル・ウォルターがマディのバンドを離れて最初に組んだのが、エイシズというバンド。ルイスとデイヴィッド・マイヤーズの抜群のリズム感を持つ兄弟に、フレッド・ビロウというシカゴ・ブルースファンなら感慨を込めて想い出す名ドラマーが居ました。エイシズに居たジュニア・ウェルズという後にバディ・ガイと名コンビを組むハーピストがリトル・ウォルターの代わりにマディ・バンド入りします。
フレッド・ビロウは元ジャズ・ドラマーで、当時シカゴではブルース・バンドで叩いた方が金になるので叩いていたのが、やがて抜け出せなくなり、押しも押されぬ最高のシカゴ・ブルース・ドラマーになった人です。彼の感覚とリトル・ウォルターの感覚が合わさったのが、リトル・ウォルターの為になっただけでなく、「シカゴ・ブルース」を新しい地点へ推し進める原因となったようです。
やがて、リトル・ウォルターのバンドは当時ジャンプ界のスター、アイボリー・ジョー・ハンターの大編成バンドを食ってしまったり、ニューヨーク・ハーレムのアポロ劇場でも大絶賛を浴びる人気者になりました。
リトル・ウォルターがアポロに出た翌年、マディのバンドも出演したのですが、既にダウンホームな感覚しか無く、新味に欠け不評を買ったそうです。
人と人の出会いはどういう結びつきがどういう結果をもたらすか分からず、そういうのが時代を変えていくんだなあと思った次第です。
| 固定リンク
「Little Walter」カテゴリの記事
- 2023年3月21日(火)逆転サヨナラには驚いた(2023.03.21)
- 2022年10月8日(土)冬の思い出、或いは昭和の冬(2022.10.08)
- 2022年8月28日(日)頑張ってるなら良いじゃない(2022.08.28)
- ローリング・ストーンズの黒人音楽カバー【番外編】~「ブルー&ロンサム」(2017.01.15)
- そしてめぐりあい(2009.05.05)
コメント