岡本太郎著『美の呪力』
岡本太郎さんの“キャッチフレーズ”といえば「芸術は爆発だ!」となるでしょう(時代的には古い話)。
このフレーズに於ける「爆発」は、岡本さんのキャラクターからすると、激しい情熱の迸りを連想させます。しかし、それでは表面をなぞっただけ。本書を読んで、「爆発」という言葉の奥深さに、気付かされました。
本書では「爆発」の代わりに「怒り」という言葉が使われています。「怒り」は、腹が立つといった感情的な意味合いを超えて、人間に必要な「活力」に近いニュアンスで提示されているようです。
重要なのは、「怒り」が「透明」であること。混じりけがなく真っ直ぐなベクトルである事が要求されます。
「怒り」を基本(の一つ)として、本書の全編を通し、プリミティヴで、人間臭い行動や意識や生活から産まれた「芸術」に焦点が当てられています。いわゆる、美術館の展示品として鑑賞する類いの物ばかりではありません。生活や宗教上のモニュメントや、武具等も含まれます。しかも、事例は世界中から多岐にわたり取り上げられ、好奇心はたっぷり刺激されます。
美術に限らず、音楽や文学、その他の「創作物」は全て人間が創っています。受け止める側も人間。創作活動には一定の“センス”が必要なので、鑑賞者と交感しにくい部分もあり、「芸術は難しい」と思いがちです。しかし、本書を読み進めると、人間が本来持っている感情と理性のバランスや、崇高なる自然との関わりから「芸術」は生まれるべきで、人間らしい人間として、ピュアな気持ちで受け止める事が出来るものである・・・と岡本さんは主張されているような気がします(これはあくまで私の推測)。
しがらみだらけの世の中で、自分の気持ちを丸裸にするのは難しい事です。しかし考えてみれば「芸術家」と呼ばれる人々は、人間性からして丸裸的かも知れないですね。それは「特別な才能」なのかも知れませんが、一般の人も同じ人間である以上、丸裸を意識すれば多少なりとも“琴線”に触れ得るものだと思うのです。
『美の呪力』の中で、岡本さんが展開している理論(話)は、芸術作品と鑑賞者間のヒューマニティーの“交感”に止まりません。もっとスケールが大きく、もっと緻密です。
タイムマシンに乗って時空を超えたり、ミクロな存在になって地を這ったりすると同時に、思想的トリップも味わえる“芸術的”一冊でした。具体性と抽象性がメビウスの輪を構成しているイメージも思い浮かびました。だから、説得力もあり、空想的でもあるのです。
筒井康隆さんの言葉を思い出しました。「リアリズムを徹底したのがシュールリアリズムである」。そういえば『美の呪力』自体がシュールリアリズムに彩られているのに気が付きます。つまり、岡本太郎さんの物の考え方からしてシュールなんでしょう。シュールリアリズムは決して難しいものではなく、自分の周囲にあるものや、考えを正攻法と自らの感覚で突き詰めていくことなんでしょうね。
http:// www.shi nchosha .co.jp/ book/13 4622/
このフレーズに於ける「爆発」は、岡本さんのキャラクターからすると、激しい情熱の迸りを連想させます。しかし、それでは表面をなぞっただけ。本書を読んで、「爆発」という言葉の奥深さに、気付かされました。
本書では「爆発」の代わりに「怒り」という言葉が使われています。「怒り」は、腹が立つといった感情的な意味合いを超えて、人間に必要な「活力」に近いニュアンスで提示されているようです。
重要なのは、「怒り」が「透明」であること。混じりけがなく真っ直ぐなベクトルである事が要求されます。
「怒り」を基本(の一つ)として、本書の全編を通し、プリミティヴで、人間臭い行動や意識や生活から産まれた「芸術」に焦点が当てられています。いわゆる、美術館の展示品として鑑賞する類いの物ばかりではありません。生活や宗教上のモニュメントや、武具等も含まれます。しかも、事例は世界中から多岐にわたり取り上げられ、好奇心はたっぷり刺激されます。
美術に限らず、音楽や文学、その他の「創作物」は全て人間が創っています。受け止める側も人間。創作活動には一定の“センス”が必要なので、鑑賞者と交感しにくい部分もあり、「芸術は難しい」と思いがちです。しかし、本書を読み進めると、人間が本来持っている感情と理性のバランスや、崇高なる自然との関わりから「芸術」は生まれるべきで、人間らしい人間として、ピュアな気持ちで受け止める事が出来るものである・・・と岡本さんは主張されているような気がします(これはあくまで私の推測)。
しがらみだらけの世の中で、自分の気持ちを丸裸にするのは難しい事です。しかし考えてみれば「芸術家」と呼ばれる人々は、人間性からして丸裸的かも知れないですね。それは「特別な才能」なのかも知れませんが、一般の人も同じ人間である以上、丸裸を意識すれば多少なりとも“琴線”に触れ得るものだと思うのです。
『美の呪力』の中で、岡本さんが展開している理論(話)は、芸術作品と鑑賞者間のヒューマニティーの“交感”に止まりません。もっとスケールが大きく、もっと緻密です。
タイムマシンに乗って時空を超えたり、ミクロな存在になって地を這ったりすると同時に、思想的トリップも味わえる“芸術的”一冊でした。具体性と抽象性がメビウスの輪を構成しているイメージも思い浮かびました。だから、説得力もあり、空想的でもあるのです。
筒井康隆さんの言葉を思い出しました。「リアリズムを徹底したのがシュールリアリズムである」。そういえば『美の呪力』自体がシュールリアリズムに彩られているのに気が付きます。つまり、岡本太郎さんの物の考え方からしてシュールなんでしょう。シュールリアリズムは決して難しいものではなく、自分の周囲にあるものや、考えを正攻法と自らの感覚で突き詰めていくことなんでしょうね。
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