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徳のある精神

数日前NHKで放送していた、柔道の父・嘉納治五郎氏のドキュメント。氏は教育者で、人間には「知」「徳」「体」の三つの要素が必要というのが持論です。知力や体力があっても、徳がなければ無意味であるというのが柔道精神の根本にある訳でしょう。「精神」は国を超えて伝わります。へーシング選手が金メダルを獲った時、喜びに湧き立つコーチ陣らを制しました。敗者に対する礼儀からの行動です。時代は変わるもの・・・現代の柔道=JUDOでは「徳のある精神」はかなり見えにくくなっている気がします。

柔道から大相撲を連想しました。朝青龍が優勝の喜びをガッツポーズで表現した件。ポイントは「大相撲」という競技をどう捉えるかだろうと思います。大相撲は神事なのかスポーツ(或いは格闘技)なのかという事。もし神事というならガッツポーズはダメでしょう。常に神が主役なのだから。スポーツならアスリートの喜びの表現としておかしくないでしょう。多分横綱は解らないから好きにやっているんだと思います・・・解ろうとする努力も必要ですけどね。相撲の精神が伝わってないのでしょう。何故伝わってないのかというと、相撲協会のお歴々が理解出来てない(もしくは周囲への説明不足)からではないでしょうか?もし、柔道の様に、時代の流れに沿って相撲もスポーツ化しているんですよと言うなら、女性を土俵に上げたりするべき。協会の都合で、相撲精神がブレている感じがします。どちらでも「間違い」とかじゃないんだから、一本筋を通して欲しい。或いは、神事+格闘技という考えでも今の時代おかしくないと思います。その場合もキーワードは「徳」。そこに日本人らしさを主張してほしいのです。あ、そうか。今はモンゴル大相撲か・・・。

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コメント

ヘーシンクは日本の滞在も長かったので、日本人と言うものが分かっていたのでしょう。神永とも稽古はしたことがあり、彼を分析していたのでしょう。

さて、モンゴル相撲では、ワシの踊りなどをするわけで、両手を上げるのは、強さの象徴でしょ。
モンゴル出身なのに、優勝で国歌を流す時は、日本の国歌を使うことに対して、僕は嫌なものを感じます。モンゴルの国歌を流すべきでしょう?
相撲協会は、頭が硬直してますね。
江戸時代の相撲は、今のプロレスと同じ様に、もっと個性的でしたよ。

個人的なものですが、横審で偉そうに発言している漫画家は嫌いです。

オギ

投稿: ogitetsu | 2009年10月 3日 (土) 21時23分

さすかせogitetsuさん、よく勉強になりました。ありがとうございます。

「頭が硬直」というのが第一の問題なんですね。協会が外国人力士を利用しているんだから力士側も利用している感覚に有るのかも知れません。

投稿: k.m.joe | 2009年10月 4日 (日) 17時20分

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