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頑固者の効用

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●『BSR』誌10月号、鈴木啓志さんによるマディ初渡英時(58年)の話。彼の地のブルース・ファンの期待通りの演奏を聴かせたブラウニー・マギーとビッグ・ビルに続き、大爆音を響かせ登場したマディ親分。サミュエル・チャーターズは思わずトイレに逃げ込んだとか。ミュージシャンは感激したものの、音楽評論家は批判的だったとチャールズ・カイルが書いていたらしい。後に一部訂正されたものの、「フォーク的なブルースこそ真のブルースだ」的な考えは「モルディ・フィグ」と呼ばれ、マディ初渡英時頃は支配的だったとの事。鈴木さんの記事はそれを否定し、ジャズ評論家のトニー・スタンディッシュの慧眼を紹介したものだ。そういう人もいたよという事だろう。私が思ったのは、カイルにしろ、チャーターズにしろ、スタンディッシュにしろ、鈴木さんにしろ、拘りの強い人たちだなぁという事。拘るのは素晴らしいが、どこかに余裕を持った方が良いような気もする。とはいえ、「頑固な考え」は、自分の考えを進めるのに役立つ。否定してはもったいないのも事実。

●「頑固」といって思い出すのは亡くなられた中村...とうようさんだ。とうようさんは例えば車自体を否定していた。車内の個的空間を自分の部屋と同一視する為、交通ルールやマナーが守られないみたいな根本的論理だ。それは理解できるが、現代社会から車を無くす事は不可能だろう。それでもこの頑固な考えを捨ててしまっては大事なものも捨ててしまうのも確かだ。

●とうようさんの言で強く印象に残っているのがもうひとつ。ブルースは音盤に記録されるようになった時点でブルースらしさを失っているというもの。「モルディ・フィグ」どころではない。しかしこれも、ブルースのライブ性や即時性を考えれば一理ある。ブルースは、音を聴きながら、このギターワークはどうのとか、悲しみが伝わる歌唱であるとか「批評」するだけの音楽とも違う。音そのものの批評は成り立つが、もっと本質的に、ブルースがどういう場で、どんな社会状況で歌われ演奏されたものか考える必要のある音楽だと思う。そして、永続性もあるが刹那的でもある。とうようさんの言葉が無ければ、果たして私はその事に思い至っただろうか。極論とも思えるとうようさんの頑固さは、実はとても示唆に富んでいるのだ。これを俗に「とうようの効用」と言う・・・わけがない。

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