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2019年2月

姿を消さないジム・クロウ

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ジェームス・M・バーダマン、里中哲彦両氏による対談形式の著書『はじめてのアメリカ音楽史』<ちくま新書>。完読はしていないが、アメリカの歴史と音楽の成り立ちを細かく説明してあり興味深い。

「ミンストレル・ショウ」で演じられていた"ジム・クロウ"に話が及んだ章。後に人種差別を公然の事実にした悪しき体制の総称でもある"ジム・クロウ"は、白人が顔を黒く塗り黒人を侮蔑した言動で話題を呼んだキャラクターが元となる。今年のグラミー賞を受賞したMV「ディス・イズ・アメリカ」でチャイルディッシュ・ガンビーノが、滑稽とも取れる表情や動きを見せているのが"ジム・クロウ"を模したものだとバーダマン氏が指摘する。あの時代から何も変わっちゃいないんだという表現だろうか。
「ミンストレル・ショウ」自体も、黒人の役者が後に登場し、顔を黒塗りにする。「差別する側が作り出したキャラクターを、差別される側が演じる事で差別の非公正さ・醜悪さを浮き彫りにする」姿勢が見える。エンターテインメントの隠れ蓑を、うわ手のエンターテインメントではがす。チャイルディッシュ・ガンビーノの熱演まで続く歴史でもある。
人種差別が間違った考えだという事は我々日本人にも判るが、体感には至らない。しかし、本書で「ミンストレル・ショウ」から「ディス・イズ・アメリカ」まで丁寧に説明されると理論的に腑に落ちる。すると、何年か前にダウンタウンの浜ちゃんが顔を黒塗りにして笑いを取ろうとした事の過ちが理解できるのだ。
事はアメリカに限った話ではない。地域性や歴史の問題もあるだろうが、人種差別に疑いを持たない連中は即ち人間性を喪失していると思う。自分の娘を虐待死させて、普通に生活を送っているヤツや、バイクを車で撥ねながら得意げにしているヤツなど日本にも人間性を喪失している輩がいる。"ジム・クロウ"は人間の醜さを露呈した存在であり、必ずしも昔話ではないのだ。

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日本語で感じるブルース

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チャンピオン・ジャック・デュプリーの『ニューオーリンズ・バレルハウス・ブギー』。<ソニー>の<ルーツン・ブルース>シリーズで、93年にリリース。40~41年、彼の最初期の録音集だ。

「チャンピオン」の呼び名は伊達ではなく、ボクシングの腕も相当なものだったよう。力強いピアノの響きに、腕っぷしの強さを連想してしまう。

内容の良さに加え、編集盤として、ブルースの魅力を日本語で伝えようとする姿勢にも触れたい。こういう場合ギクシャクした訳もあったりするが、風情の伝わる良訳である(沼崎敦子さん)。タイトルも全て邦題で、私のように英語が不慣れな人間には歌世界がぐっと身近に感じられ嬉しい。

特に訳さなくても意味は通じるが、日本語にする事で味わいが増す例は、5曲目「黒人女のスウィング」"Black Woman Swing"、あるいは「だいじょうぶだよ」"That's All Right"あたりか。最も感心したのは、本盤唯一のトラディショナル曲"Oh, Red"を「ああ、レッド」と訳す感覚。なるほど、英語での「オー」は正確な日本語では「ああ」或いは「嗚呼」となるはず。ブルースならではの詠嘆調とも言える。

現代ではあまり使われない日本語を使った例では"Junker Blues"を「ぽんこつブルース」(憂歌団の曲名にありそう)、"Hurry Down Sunshine"が「早く沈め、おてんとさん」と訳されている。歌詞もきちんと訳してあるが、詩を感じる素養が私には無いので、読みが甘いかも知れないが、おてんとさんに向かって早く沈めと願うのは、「明日になれば何とかなる」というささやかだが切実な希望の表れではなかろうか。おてんとさんという太陽を人格化したような表現が、より距離を近づけ現実化させたい思いを感じさせる。

詩的な表現としては"New Low Down Dog"が「新・卑劣な犬」。なんとも面白い。

※リンクを貼っている曲名の中で「雑草あまたの女」となっているのは「雑草あたまの女」が正解。たぶんハッパまみれの女とかそんな感じでしょうか。次に原題の曲名を貼っておきます。

♪黒人女のスウィング

♪だいじょうぶだよ

♪ああ、レッド

♪ぽんこつブルース

♪早く沈め、おてんとさん

♪新・卑劣な犬

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片隅02

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梶尾真治さんの"エマノン・シリーズ"の外伝にあたる「ひとひらスヴニール」は、ロマン溢れるタイムトラベルもの。水彩画のような淡い色付けが成された一編。

片瀬チヲルさんの「かみまい」は、怪談とホラーが合わさったような一編。

菅野樹さんの「さくら奇譚」は、水木しげる作品を思わせる奇妙だがユーモラスな世界。

熊本の個性派書店のひとつ「ポアンカレ書店」の店主牛島漁さんのエッセイ。気負いも気取りもない文章は好感が持てる。

性に合わない作品もあるっちゃあるが、全般的に愉しく読める雑誌である。

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T.K.ソウル

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インディー・ソウル界ではベテランの域に入るT.K.ソウルの14年作。64年生まれなので相当なオッサンである。だが、声の若々しさはどうだろう。私はこの人のアルバムは初めて聴いたので、年齢を調べてちょっと驚いた。
ざっとバイオを。生まれはルイジアナ州ウィンフィールド。本名はテレンス・キンブル。若い頃からギター、キーボード、ドラム、ベースをこなし、好きなミュージシャンとしてスティーヴー・ワンダー、ジャクソン・ファイブ、アル・グリーン、メイズ、リック・ジェイムス、プリンスらを上げている。H・タウンのキーボーディスト(曲も提供)やウィリー・クレイトンのバックに付いた後、自主レーベル<ソウルフル>を立ち上げ、レコード・デビューとなった(02)。本盤は8作目のようで、この後一枚アルバムを出し、あと2017年にシングル盤を出している状態のようだ。
才能豊かなミュージシャンらしいので、各アルバムのコンセプトも様々かと。本盤に関して言えば、アコースティック・ギターと打ち込みサウンドを主体に、オールド・ソウルの薫り豊かに展開する一枚だ。前述の通り、若々しく勢いのある歌声がまぶしささえ感じる。私は打ち込みが苦手なのだが、これだけタメのあるリズムだと乗れる。ただ、80's初期のような機械感の強い曲(5や9)もある。ただ、アルバム全体の流れを考えると、それらの配置は良いアクセントになっているかも。
スタートは特に若々しい。
2曲目はボビー・ウォーマックのようなゆるやかさ。
3曲目は曲調もだが、歌い口にマーヴィン・ゲイを思わせる部分が。ここぞという時のよじったような声は、オールド・ソウルファンの萌えポイントである。
4曲目はカール・シムズやスタン・モズレーらがやりそうな王道インディー・ソウル路線。
8曲目はアイズリー・ブラザーズを思わせる。
ラストは、アコースティック・ギターの調べを前に出し、ベイビーフェイス的な美麗な音世界を体験させてくれる。

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