

[125枚目]●V.A.『The Fame Studios Story 1961-1973 Home Of The Muscle Shoals Sound』<Kent Soul>(11)
※本文を書くに当たり、リチャード・ウィリアムス、トニー・ラウンス、アレック・パラオ、ディーン・ラドランド各氏の英文ライナーノーツ、ウィキペディア、<フェイム>ホームページなどを大いに参考にしています。
サザン・ソウルファンにとって<フェイム>スタジオは思い入れが深い聖地だ。ここを経由してリリースされた数々の名曲や、主役をフォローする鉄壁の演奏陣には幾度となく感動を覚えた。本アルバムは<フェイム>スタジオの歩みを全て捉えたものではなく(スタジオは今も続いている)、その立ち上がりから「サザン・ソウル」のスタイルが固まり、ポップスの世界にも進出しようか(オズモンズも登場)としていた時代で締めている。つまり、タイトルにもある通り1961年から1973年までの歴史である。
<フェイム>について語るには、リック・ホールの人物像を伝えることは不可欠である。32年、ミシシッピ州ティショミンゴ郡フォレスト・グローブの農家に生まれたリック。4歳の時に母親が家を出て、残りの家族はアラバマ州フランクリン郡に引っ越した。父親はゴスペル・ファンで、叔父からはマンドリンをもらいギターの弾き方を覚えるなどして音楽との距離を狭めていった。十代になるとイリノイ州ロックフォードで工員として働きながらバンド活動にいそしむ。やがて徴兵されるが、退役後はアラバマ州フローレンスにて工員として働きながら音楽活動を行った。57年(25歳)、婚約者と父が亡くなるという不幸に見舞われ、生活は荒み気味となったが音楽はやめなかった。地元のバンドでギター、マンドリン、フィドルを担当し、そこでサックスを吹いていたビリー・シェリルと出会い、ふたりでフェアレインズというバンドにやがて参加する(あるいは結成する)。リックはベースを担当し、ヴォーカルはダン・ペンだった。バンドを抜けてからはコンポーザーとして活動する(ビリーとはフェアレインズ前からコンポーザーとしてもコンビだった)。カントリー・チャート5位を記録したジョージ・ジョーンズ「Aching, Breaking Heart」やアダルト・コンテンポラリー・チャート15位のブレンダ・リー「She'll Never Know」などが代表作である。
59年に、リックとビリーはレコーディング・スタジオ経営者のトム・スタッフォード(かなりの通人だったようだ。ライナーではヒップスターと表現されている)に誘われ、音楽出版社「Florence Alabama Music Enterprises」=頭文字をつなげて<FAME>を設立した(トムの父親が経営するドラッグストアの2階からスタート)。しかし、60年代初めにビリーとトムはリックを“解雇”し自分たちはナッシュビルに移動した(その後トムは薬物中毒になってしまう)。リックは隣町のマッスル・ショールズに場所を移し、空港近くのタバコ倉庫をスタジオに作り替えた。ここから名物スタジオの歩みが本格的に始まる。
レーベルとしての<フェイム>と配給会社の推移を書いておくと、61年から64年は大手が相手というわけではなさそうだが「Steal Away」の成功が全国展開を考えるキッカケとなった様子。ジミー・ヒューズが所属していた<ガイデン>は乗り気では無かった。(2)で触れるビル・ロウリーが手助けし、リックとダン・ペンもラジオ局へ草の根的営業活動を行い<ヴィー・ジェイ>の配給につながった(66年まで続く)。66年から68年が<アトランティック>、その後71年まで<キャピトル>に託したようだ。さらに英文解釈が上手く出来ないが、<ユナイテッド・アーティスツ>とプロダクション契約&配給契約を短期間ながら交わし、その間<リック・ホール・レコーズ>を設立し、<フェイム>スタジオを<リック・ホール・レコーディング・スタジオ>と改名している。ただし、実体的にどうなのか不明ではある。いずれにしろレーベルとしての<フェイム>は73年で終わる。まさに本盤の締めの年と一致する。
さて、本盤は3枚組で、84ページのブックレットに続いてディスクを入れる3ヶ所のポケットがあり、単行本より硬い表紙がついており、入れ口が開いた箱型のカバーに入れるような体裁になっている。1つのディスクに25曲×3=全75曲収録されている。各ディスクには、中に含まれている曲からタイトルが付けられている。内容を一括して説明するより、曲順通りに紹介しながら、スタジオの歴史にも触れながら進めていく流れを主体としよう。尚、<Pヴァイン>から日本盤も出ている(本盤と同じ2011年)。
【Disc One】Steal Away
1. Arthur Alexander - You Better Move On
<ドット>61年発。作者はアーサー本人、プロデュースはリック。ポップ・チャート24位、R&Bチャート27位。<フェイム>スタジオで録音した初のヒット曲である。この曲の売り上げで、ウィルソン・ダム・ロードのスタジオ(前記した元タバコ倉庫)からアヴァロン通りに新たなスタジオを建設した。ホテルのベルボーイを仕事にしていたアーサーをスタジオに連れてきたのはトム・スタッフォードだとする資料もある。しかし、60年にジューン・アレクサンダー名義で<ジャッド>(オーナーのジャッド・フィリップスはサム・フィリップスの兄)から「Sally Sue Brown」という曲を出しているので<ドット>盤がデビュー・シングルではない。「Sally Sue Brown」はYouTubeで聴けたが落ち着いたブルースである。
ドラッグストア時代から知り合いだった地元のミュージシャンを使って記念的な録音は成された。デヴィッド・ブリッグス(ピアノ)、テリー・トンプソン(ギター)、ノーバート・パットナム(ベース)、ジェリー・キャリガン(ドラムス)に加え、アコースティック・ギターがウィキペディアではフォレスト・ライリー、ライナーノーツではアール・“ピーナッツ”・モンゴメリーとされている。デヴィッド、ノーバート、ジェリーは地元でバンドを組んでいた(当時16歳)と書かれているが他は不明。また、デヴィッドは50年代後半から活躍する「ナッシュビル・キャッツ」と呼ばれる有名セッション集団のひとり。また、ノーバートと一緒に60年代後半にはスタジオを設立する。その前に3人はナッシュビルから誘いを受けて移籍したとウィキペディアに書いてあるので、3人ともナッシュビル・キャッツなのかも知れない(詳細不明)。いずれにしろこの3人が最初の<フェイム>スタジオのセッション・ミュージシャンの中心となっていた。ちなみにビリーとトムもナッシュビルで成功を収めたとライナーには書いてあるので、もしかしたら3人と関係しているかも知れない。
「黒人にとっては白い、白人にとっては黒い」とリックが述べたように、またチャートの動きが3つポップの方が上位にあったように(しかも大抵の資料がポップチャートしか記載していない)、リズム&ブルースよりはカントリー・ポップに近い。しかし、サウンド云々より前に悲しげなのに温かみも感じるアーサーのヴォーカルがこの曲の最大の魅力だろう。
2. The Tams - Laugh It Off
<ABCパラマウント>(63)。曲の作者はシンガー・ソングライターのレイ・ウィットリー。タムズの曲を多数書いている。プロデュースはリック。同じレイ作のR&Bチャート1位、ポップチャート9位の「What Kind Of Fool (Do You Think I Am)」(こちらも<フェイム>録音のようだ)の裏面。演奏陣はデヴィッド=ノーバート=ジェリーの他に(1)にも参加しているテリー、アールのふたり。加えてフルートとしてジル・シャイアーズが記録されている。アトランタのレコード関係者、ビル・ロウリー(ジーン・ヴィンセント「Be Bop A Lula」などに関わる)は<フェイム>の開設当初から大口顧客だった。タムズもアトランタ出身である。メンバーは、ジョセフ・ポープ、チャールズ・ポープ、“リトル・フロイド”・アシュトン、ロバート・スミス、ホレス・“サニー”・キー。ジョセフ(ジョー)・ポープのものと思われるしゃがれ声に切なさが込められている。
3. The Mark 5 - Night Rumble Pt 1
<ABCパラマウント>(63)。低音部を強調したクールなソウル・インスト。マーク5の活動期間は58年から60年と某資料ではなっている。同じ資料によればメンバーは、デヴィッド=ノーバート=ジェリーの他、ダン・ペン(ギター)、ジェリー・セイラー(ヴォーカル/サックス)、ドン・ヘヴリー(トランペット)、マーリン・グリーン(ギター/ヴォーカル)となっているが、別の資料ではスプーナー・オールダムとドニー・フリッツも含まれている。尚、ダン=スプーナー=ドニーはのちにダン・ペン&ポールベラーズ(棺担ぎ人)を結成している。作者は(1)(2)でセッション・メンバーとして名前が上がっているテリー・トンプソン(作者しての名義はカーティス・トンプソン、シングル盤の表記はC.T.トンプソン)。【Disc Two】の(2)でクライド・マクファターが歌っている「A Shot Of Rhythm & Blues」(オリジナルはアーサー・アレクサンダー)の作者でもある。残念ながら65年にアルコールが原因で命を落としている。プロデュースはリック・ホール。メンバーは前記の通りゴチャゴチャな感じだが、ライナーノーツには、ダン・ペンの参加は間違いないと書かれている。オーティス・レディングが聴いて、当時のバックバンドであるジェリー・ジェンキンス&ザ・パイントッパーズが取り上げたような事がライナーノーツに書いてあるが、探しきれなかった。
4. Tommy Roe - Everybody
<ABCパラマウント>(63)。本人作。プロデュースはフェルトン・ジャーヴィス(66年から77年にかけエルヴィス・プレスリーの録音を多数担当している)。ポップチャート3位(63年の年間チャートで38位)、全英チャート9位を記録した。トミーは42年アトランタ生まれ。高校卒業後GE社でハンダ付けの仕事に就きながら60年に<ジャッド>で「Sheila」をリリース。さらに62年に<ABCパラマウント>で再録音してビルボード1位を勝ち取った。「Everybody」もイントロから強く引き付けられる曲である。デヴィッド=ノーバート=ジェリーの他、ギターにボビー・ウェストが加わっている。収録アルバムは66年の『Sweet Pea』。
5. Arthur Alexander - I Hope They Get Their Eyes Full
62年に録音されて、シンガー名「Boy」として<フェイム>に保管されていた。アレック・パラオとトニー・ラウンスが発見し、今回のディスクに収録したものである。作者はダン・ペンとドニー・フリッツ。プロデュースはリック・ホール。女性コーラスがキュートな青春ソングといった風情だ。「Boy」と別にシンガー不明の「Girl」があるそうで、そちらも聴いてみたくなる曲調である。2012年に<ケント>から出した45回転盤のコンピ『The Fame Singles Box』にどちらも収録されている。
6. Jimmy hughes - Steal Away
ここまで聴いてきた流れをグッと引き締める一曲。ライナーノーツには「サザン・ソウルの基本形」と書かれている。ブルースの度合いが強く、終盤のジミーのシャウトがせつなく響く。<フェイム>(64)。本人作。リックのプロデュース。ポップチャート17位(R&Bチャートは休止中)、キャッシュ・ボックスのR&Bチャートでは2位に到達した。(1)の成功で建設に至ったアヴァロン通りの新スタジォで最初に録音された曲である。パーシー・スレッジをいとこに持つジミーは、仕事を持ちながらアラバマ州のラジオ局WZZAでゴスペルグループとしても活動していた。(1)がヒットしたのに気持ちが動かされ、<フェイム>のオーディションを受けた。最初に録音した2曲が今ひとつだったので、リックはジミーに自分で曲を書かないかと提案した。彼はゴスペル・ソングの『Steal Away』を浮気の歌に作り替えた。工場の夜勤中に1,2行ずつ書いていったという。黒人男性が不貞を勧める歌という微妙な題材(ライナーには商業主義R&Bとかけ離れたテーマと書かれている)に、さすがのリックも戸惑い(ビル・ロウリーとダン・ペンはヒットを確信していた)、デモ録音から2年後のリリースとなった。バック・ミュージシャンはデヴィッド=ノーバート=ジェリーの他コーラス陣としてダーリーン・エドルマン、ジェリー・エドルマンが参加している。のちに<フェイム>からはエタ・ジェイムス、クラレンス・カーター、ボビー・ジェントリー、テリー・ギブスがカバー、その他もR&Bチャート3位のジョニー・テイラーをはじめ、数多くのシンガーがカバーしている。
(つづく)








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