レコード棚を順番に聴いていく計画 Vol.66
[75枚目]●ジャッキー・ロス『テイク・ザ・ウェイト・オフ・ミー』<グレイプヴァイン>(06)
ジャッキー・ロスと言えば、<チェス>に於けるヒット曲「セルフィッシュ・ワン」及びアルバム『フル・ブルーム』を思いつかれる方がほとんどだろう。それならまだマシな方で、「どんな人だっけ?」という反応も結構あるんじゃないだろうか。私も<チェス>のレディ・ソウル陣は、エタ・ジェイムス、ミッティ・コリア、シュガー・パイ・デサント、ローラ・リー、フォンテラ・バス程度で記憶が閉じられる。
本盤は、<チェス>以後71年~82年まで彼女のマネージャーやプロデューサーを務め、複数のレーベルも営んだジミー・バンリーア(Vanleer)が関係した作品集である。本盤を通して聴いてみて、ゴスペル仕込みの迫力十分なジャッキーだが、どこか突き抜けきれない、或いはドシッと腰が落ち着いていない部分を感じるのだ。あくまで個人的な意見だが、迫力の出しすぎ・力みすぎじゃないだろうか。ところが、本盤には80年初頭の録音もあるが、80'sのクールがちなサウンドだと、抑制の効いた歌い口から迫力ある高まりへの展開がスムーズに受け止められる。本作のボーナスとして収録されている<ゴールデン・イアー>時代のレーベル・メイト、リトル・ミルトンとのデュエット作品も、後ろに引く部分、前に出る部分が両名共に素晴らしい出来。この辺りに彼女らしさの発揮が成されているんじゃないかと思う。<チェス>時代の作品に精通している訳ではないが、少なくとも「セルフィッシュ・ワン」は典型的なノーザンで、極端に言えば、ジャッキー・ロスでなくとも通用するのだ。実生活上も苦労が絶えなかったようすのジャッキーだが、歌手生活もバンリーアと絡みはじめてやっと真の"フル・ブルーム"状態に向かった苦労人ではなかったのだろうか。
1946年、セントルイス生まれのジャッキーは、両親が持つ教会で歌い始め、13歳の頃は、同じく両親が運営するラジオ番組に出演していた。だが、間もなく父親が亡くなり、母親とシカゴに移住する。サム・クックに実力を買われ<サー>に初録音を残す。この時16歳、因みに綴りがJacki Rossである。サムはL.A.にジャッキーを連れて行きたかったが、母親の反対に合い叶わなかった。その後、シル・ジョンソンのバンドを経験して、64年<チェス>と契約、同年「セルフィッシュ・ワン」を発表している。結局<チェス>とは揉めたらしく、67年にレーベルを離れる。その後は<ブランズウィック>やジェリー・バトラー所有の<ファウンテイン>を経由し、ヴァンリーアと活動する事になる。ヴァンリーアの設立レーベルは<セドグリック>と<ゴールデン・イアー>。先にレーベル・メイトとしてリトル・ミルトンの名を上げたが、他にもボビー・ラッシュやドン・ガードナーも所属していた。因みにミルトンとサウスサイド・ムーヴメントの2組とは共演アルバムを発表している。他のレーベルも上げておくと、<ファウンテイン>つながりで<マーキュリー>、<セプター><GSF><USA><キャピトル><ウェイロ>が本盤ライナーに記されている。
YouTubeで検索しても中々出てこなかった。④はブルースで、シャウト部分はジャニス・ジョプリンを想起する。タイトル曲⑤は、一番バランスの良い曲だ。⑥が残念ながら無かったが、サザン・ソウル調で好き。⑰から先がミルトンとのデュエット。①は派手めだが②③はやや落ち着いている。⑦から先は80年代作品のようだ。
① This World's In A Hell Of A Shape
③ A WOMAN GET´S NOTHING FROM LOVE
⑦ The World Needs More People Like You
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