レコード棚を順番に聴いていく計画 Vol.101
[110枚目]●ザ・ビートルズ『ビートルズ・フォー・セール』<東芝EMI>(87)
※本文を書くに当たり、猪俣憲司さんと根木正孝さんのライナーノーツを大いに参考にしています。
64年12月にリリースされたオリジナルは<パーロフォン>発(通算4枚目)。私が持っている日本盤は、ビートルズの結成25周年を謳ったシリーズ内の1枚である。64年のビートルズの忙しさがライナー冒頭に詳述されているが、初主演映画『Hard Day's Night』の撮影とレコーディング、アメリカ・ツアーや5ヵ国を巡るワールド・ツアー、2日間のスウェーデン公演、1ヶ月にわたる国内ツアー、テレビやラジオへの出演と凄まじいものがある。そんな中でクリスマス商戦に向けて発表されたのが『ビートルズ売り出し中』という本盤である。これも9月後半からスタートしてスケジュールの合間を縫ってのレコーディングとなった。14曲中6曲のカバー曲を入れているのも苦肉の策だったかも知れない。素人考えでは、この忙しさの中で8曲ものレベルの高いオリジナル曲を入れられたなあとそっちの方で感心する(同時期にシングル「I Feel Fine」と「She's A Woman」も録音されている)。
プロデューサーはジョージ・マーティン。ジャケット写真は初期ビートルズのオフィシャル・カメラマン、ロバート・フリーマン。撮影場所はハイド・パークだそうだ。サウンド面では、ライナーにも書いてある通り、カバー曲でストレートなロックンロールやロカビリー感覚を聴かせる一方、オリジナル曲は落ち着いた雰囲気もあり、よく作り込んでいる印象だ。ジョージは、リッケンバッカーの12弦ギターからグレッチのカントリー・ジェントルマンに替えて、カントリー的リフを使っているとか。アコースティックギターやピアノの使い方もひと皮むけたようなサウンド作りだそうだ。
1. No Reply
ジョンの作品。ロックンロール・シンガーのトミー・クイックリーに提供したが発表されなかったので、自分たちのものにしたらしい。自分に目を向けてくれない女性への思慕の情を綴った歌詞は、ジョンが書いたそれまでの歌詞に比べ高く評価されている(曲自体も)。英米ではシングル・カットされなかったが、日本では「Eight Days A Week」をB面にしてシングル化され、ミュージック・マンスリー洋楽チャートで6位に達している。ジョンのヴォーカルでかすれ声になる部分は魅力的だが、この曲においても切なさが増す。
2. I'm A Loser
強烈な勢いを感じる曲。ボブ・ディランを意識してジョンが作った曲だそう。 「I Feel Fine」が出来るまではシングル候補だったそう。内省的な歌詞という意味では「Help!」や「Nowhere Man(ひとりぼっちのあいつ)」の先駆的作品だそうだ。
ジョンとポールの共作。ビートルズの作品には珍しい12拍子のリズム・パターンとの事。帰って来ない彼氏を想って黒い服(喪服ではない)に身を包む女性に対する恋心を歌っている。ビートルズの場合、大ヒット曲ばかりでなくこういった佳曲が多い。本アルバムの中で最初に録音された曲。
ご存知チャック・ベリー57年発の代表曲。R&Bチャート6位、ホット100で8位となっている。ジョン、ポール、ジョージ・マーティンの3人が1台のピアノを弾いたと言う。シングルでは(2)がB面。ジョンの勢いたっぷりの歌声が両面で楽しめたわけだ。
これもメロディーをたやすく憶えられる良曲。日本で発売されたシングルでは(7)のB面になる。ポールが16歳の時に書いた曲。ハードなR&Bをやっていた時期なのでしばらく温めていたそうだ。リンゴはドラムではなく自分の膝を叩いている。
オリジナルはドクター・フィールグッド(ピアノ・レッド)&ジ・インターンズ62年の曲。コンポーザーはインターンズのメンバーで後のブルース/ソウル・シンガーでギタリストのロイ・リー・ジョンソン。この曲のヴォーカルも彼である。ビートルズ・ヴァージョンは、いなたい部分も受け継いでいるが、ジョンの熱唱は輪郭がハッキリしている。ポールがハモンド・オルガン、ジョージがアフリカン・ドラムを担当。
7. Medley a.Kansas City b.Hey, Hey, Hey, Hey
「Kansas City」 はリーバー&ストーラー作、ウィルバート・ハリソンのヒット曲(59年)だが、オリジナルはリトル・ウィリー・リトルフィールド「K.C.Loving」(52年)。元々「Kansas City」というタイトルだったのだが、ラルフ・バスの横槍で「K.C.Loving」になったという少々ややこしい展開である。「Hey, Hey, Hey, Hey」はリトル・リチャードが「Kansas City」のカバーをした際リフレインとして付け加えたもの(55年)。つまり、ウィルバートより先に世に出ている。ビートルズの演奏はリズムに揺れがありほどよい乗りが生まれている。リトル・リチャードに比べるとポップで聴きやすいと言えば聴きやすい。
ビートルズらしい明るい曲だが細かい部分まで丁寧に作られている。ビートルズの曲で初めてイントロ部分がフェードインで始まっているのも特色。イギリスではシングルカットされなかったがアメリカではシングル化されナンバーワンになっている。発想はハードワークのため息にあるようだが歌の内容は「1週間に8日分愛してあげる」というもの。
バディ・ホリーの57年作。ビートルズは61~62年ぐらいからライブで取り上げていた。 オリジナルをほぼ忠実にカバーしており曲の良さを伝えている。
10. Honey Don't
カール・パーキンスが56年「Blue Suede Shoes」のB面として発表。リンゴの前のドラマー、ピート・ベストの持ち歌だった。リンゴに代わった当初はジョンが歌っていたらしいがその後リンゴの歌となる。 リンゴの歌声を「いやし」とみるか苦笑するか微妙な感じなのもある意味定番である。
ライナーではジョンの作品とあるが、ウィキペディアではポールの作品になっていた。ポールとジョンのインタビューでも基本的にポールの作品と発言している。
12. I Don't Want To Spoil The Party
ジョンの作品。邦題は「パーティーはそのままに」。「Eight Days A Week」のB面だったがホット100の39位まで上がった。
ポールの作品。
14. Everybody's Trying To Be My Baby
カール・パーキンス57年のファースト・アルバム『Dance Album Of Carl Perkins』に収録。30年代中期にレックス・グリフィンというミュージシャンが作曲。邦題「みんないい娘」。ジョージのリード・ヴォーカル。
冒頭にも書いた通り、凄まじい忙しさの中作られたアルバムである。もう少し余裕があればもっと素晴らしい曲が多数出来たんじゃないかとも思うがそれは愚考だろう。ギリギリの状況だったからこそ異様な緊張感が生まれソツのない曲が生まれたのかも知れない。とにかく翌年には『Rubber Soul』をリリースしているのだから、その無限の才能に感服するばかりだ。
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