2025年9月4日(木)ライターと評論家
終日雨。濡れても構わない程度の雨もようがほとんどだった。最高気温27℃(夏日、9月に入り1日目)。熱中症10時「警戒」→19時「注意」、紫外線9時「弱い」→18時「弱い」。雷・強風注意報→雷・強風・波浪注意報発令。
朝食はうぐいすプレッド、はちみつをかけたバナナ入りヨーグルト、牛乳。
ヨメさんを美容院まで送る。ブックオフまで行くのも妙に面倒だったので、ショッピングセンターの休憩スペースで文庫本など読んでいた。美容院帰りはほぼお決まりのとんかつ屋さんでロースかつランチ。御飯の量が少なくなった感じもするが、食べたい人は無料でおかわり出来るし、我々とすればちょうど良い感じの量になった。さらにスーパーマーケットに寄って帰宅。
『ブルース&ソウル・レコーズ』誌最新号の永井ホトケ隆さんの連載エッセイ「フールズ・パラダイス」中で、音楽評論家がいつの頃からか音楽ライターと呼ばれるようになり、かつての評論家同士の活発な論戦のようなものが無くなったと書かれていた。
ブルースに限って言えば、まだ手探り状態の時代と現在ではだいぶ違うだろう。今は、地方のブルース・ファンでも十分な知識を得る事が出来る。一方、ブルースに拘らずあらゆる音楽を自分のフィーリングに合わせて選んで(あるいは何かに任せて)聴いている人も多いようだ。『BSR』誌にしろ、ブルースを軸にはしているが、幅広い音楽的知識の元に語っているライターさんも多くなった気がする。
ホトケさんの結論は、音楽の聴き手側は、どんな導き方をされるにしろ、自分で掘り下げる姿勢が大事であるといったもの。その為に送り手側に“評論”に拘る姿勢も欲しいみたいなニュアンスではと私は読み取った。ライターという名称で音楽について語る濃密度まで薄まってはいけないし、受け手側も深い読みを忘れてはいけないのだ。
まだ、小説家はさすがにノベル・ライターとか呼ばれていない。これは果たして永遠に呼ばれないだろうか。文芸評論家は既に文芸ライターや文学ライターと呼ばれている気もする。音楽もそうだし、前段でも書いたが、例えそうなったとしても、自分の感覚や意見はしっかりと持ちたい。例えAIを参考にしたとしても。
夕食は、御飯、麻婆茄子、茄子のフライ、ゴーヤのフライ、おぼろ豆腐、エビスビール。
『ブルース&ソウル・レコーズ』誌のアルバム・レビューコーナーからインペリアル・ゴスペルシンガーズ『The Savoy And Gospel Releases 1958-1962』<アクロバット>内「If You Wait」。ゴスペルの好盤をリリースし続ける<アクロバット>だからこそ、商業録音の少ない当グループの作品をまとめ切ったのだろう。天才少女と言われたロジー・ウォレスを中心に、いかにも教会を見つめ続けた真摯な歌声の塊に身体が震える。レビューは菅波ひろみさん。
♪ The Imperial Gospel Singers - If You Wait








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