●クラレンス・カーター『ザ・フェイム・シングルス・ヴォリューム1/1966‐70』<Pヴァイン/エイス/ケントソウル>(12)
http://www.hmv.co.jp/artist_Clarence-Carter_0000000000064...クラレンス・カーターは昔から好きな歌手である。野太くて哀切感に溢れる声は独特の魅力を持ち、心に深く沁みる。
<フェイム>はたくさんのソウル・スターを生んだが、カーターも忘れてはならない一人である。本盤は<フェイム>を基盤に出したシングルを、時系列に沿って編集した2枚シリーズの最初の一枚である。
6曲目までは<フェイム>からのリリースで、後は配給元の<アトランティック>名義である。ライナー(ディーン・ラドランド)を元にバイオを少し追いかけてみる。クラレンス・カーターは、当初コンビで採用される予定だったが、相棒が奥さんに銃で撃たれ、「頭に弾が残っている為」断念、単独デビューとなった。彼が加わった頃の<フェイム>は、ウィルソン・ピケット「ダンス天国」等を筆頭に、<アトランティック>との配給契約を結ぼうかという時期だった。いわゆる南部サウンドが持て囃され始めた時期とも言える。もっとも「ソウル・ミュージック」全体が形を整え始めた頃でもある。
曲も書けるカーターだが、当初は鉄壁のフェイム・サウンドの流れの中に在り、彼ならではの味は小出しに出ている感じ。デビュー曲は、後にエッタ・ジェイムスが「テル・ママ」と改題してヒットさせた「テル・ダディ」。裏面のいかにもサザンなバラードと合わせ、好スタートではある。その後も、サザン・ソウルもブルースも難なくこなしていたが、結局は自作の「スリップ・アウェイ」がブレイクの契機となった。ある意味、彼の個性が滲むこの曲からがクラレンス・カーター、真のデビューと言えるかも知れない。
しかしこの曲、最初は無視され、カーターの要望でB面に配置されたもの。A面は、当時のキーワード“ファンキー”を採り入れた「ファンキー・フィーヴァー」。リック・ホール絶対の自信作で、録音にも時間を掛けた(一方、「スリップ・アウェイ」は15分ほどで完成)。しかし、実際ラジオで繰り返し流されたのは「スリップ・アウェイ」の方。唖然とするスタッフ陣を横目に、クラレンス・カーター初のゴールド・ディスクが誕生した。「ファンキー・フィーヴァー」も確かに悪くない。しかし、「スリップ・アウェイ」にはクラレンス・カーターの最大の魅力、記憶の中の故郷の夕陽を思い起こすような、懐かしくもの哀しい感覚が凝縮されている。カーターの温かみが塗り込められている。「悪くない曲」を遥かに凌ぐ名曲なのだ。
余談。当曲、紛れもなくカーターの作品なのだが、当時金に困っていた3人の友人のクレジットにしてあげていた。他の何曲かにも名前は出ている人たちだが、これは何とも嬉しいプレゼントだったろう。
「スリップ・アウェイ」の後、「トゥー・ウィーク・トゥー・ファイト」「バック・ドア・サンタ」「スナッチン・イット・バック」と快調に飛ばす。この間のB面も良い。「レット・ミー・コムフォート・ユー」、後の妻キャンディ・ステイトン版も有名な「ザッツ・オールド・タイム・フィーリング」、名曲「ダーク・エンド・オブ・ザ・ストリート」のサビにつなぐ「メイキング・ラブ」・・・。
クラレンス・カーターは息の長いミュージシャンで、<イチバン>辺りからも彼らしいアルバムを出していた。考えようによっては、<フェイム>の制作陣が絡まない、後の時代こそ彼自身のサウンドとも思えるが、やはり南部サウンドに浸かったカーターの魅力の方が輝いているだろう。
http://www.clarencecarter.net/bio1.htmシリーズ2作目は70~73年編。更なる飛躍と予想外の運命をライナーは示唆している。60年代ソウルと70年代ソウルの視点も忘れてはなるまい。ところで、このライナー、読み応えがあったので、英語に堪能でなければ日本盤をお勧めする。
♪"Slip
away"
http://www.youtube.com/watch?v=kJgbv5W0hWc♪"Back Door
Santa"
http://www.youtube.com/watch?v=rMj4Q6EVOW0♪"Making
Love (At The Dark End of The Street) "
http://www.youtube.com/watch?v=weMtz14uvAw
最近のコメント