すべては我のそばに
【映画】『JIMI:栄光への軌跡』(14)
原題は「All is by my side」。ドキュメンタリーであれば邦題が正解だが、創作映画としてはオリジナルのタイトルが適切だ。
カーティス・ナイトのバンドで「ギターを弾かせてくれる場所があればそれでいい」という考えで演奏していたジミ。その才能を見出され、ロンドンに渡り人気を博し、モンタレー・ポップ・フェスティヴァルで凱旋帰国するまでのストーリー。
自分は変な声だからと歌おうとせず、他人とコミュニケーションを取るのが苦手な男。しかし、音楽に関しては幅広く吸収し、新しい音楽を生み出したいと常に思っていた。つまり、音楽に関するコミュニケーション形成には積極的だった。簡単に言えば「音楽バカ」だ。クラプトンに会えるならとロンドン行きを決意しながら、単なる憧れで終わらず、クリームのステージに上げてくれと熱望し、演奏でクラプトンの度肝を抜いてみせる大胆さも。ここが「音楽バカ」だ。クラプトンを出し抜こうというより、ただ、クリームと演奏したかったという気持ちが強かったと思いたい。
映画は複数の女性を軸に「愛」についても語られている。彼は愛を求めているのだが、上手く愛を伝える事が出来ず、恋人が盲目的な愛に陥ると暴発してしまう。原題が皮肉にも思えるが逆説的に愛の重要性を感じてしまう。
ジミを演じたアウトキャストのアンドレ・ウィリアムスは、顔の巨きさに違和感を感じるが、ジミの喋りの、最初に言葉が詰まり気味な部分とか、アクセントはよく似せている。それより、パフォーマンス・シーンでの成りきり方は凄かった。ジミの演奏を生で観たような気分になった。それだけに、演奏シーンはもっと味わいたかったのが正直な所。
ジミは孤高のミュージシャンと言えるだろう。もしくは革新的なミュージシャン。自分の考えが理解されにくいと感じた事も多かったのではないだろうか。商業主義に乗るのも苦痛だったかも。しかし、それ以前に、彼は本当に音楽が好きでギター道を極めたかったのが本音だろう。早逝したミュージシャンは、伝説に閉じ込められ、常に切なさが付きまとう。彼が生きていて、マイルスと共演したり、新機軸のブラック・ミュージックを開拓したり、老齢になり、一夜限りのエクスペリエンス復活劇があったり、と妄想は広がるがそれだけ切なさは増す。
結局、彼が自らの傍に引き寄せたのは、愛や名声より伝説だった。次代のミュージシャンや音楽を愛する人々の語り草になる事だった。それでも彼は、人々の前で、その時点で最高のパフォーマンスが出来て幸せだったのではないだろうか。
私のような凡人が想像したラストシーン。それは、モンタレーのステージで最初の一音を爆撃する場面だったが、それよりもこの映画のテーマや、ジミの人と成りを感じさせるラストだった。
※蛇足として、切ないジミが感じられる書籍を一つ添付しておきます。
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