写真力
http://www.camk.or.jp/event/exhibition/kishin/
日頃、写真を撮る事は殆ど無い。撮りたい気持ちも無いではない。しかし、あの区切られた空間の中の被写体を、どう生かすかという感性が私にはない。そもそも、区切られた空間が気になって仕方ない。窮屈さみたいなものが先に立つのだ。多分、写真が趣味の人は、空間が枷にならず、逆に利用するぐらいの感性を持っておられるんだろう。
と言いつつも、プロ・アマ問わず写真を観るのは好きである。自分が表現しきれないものだけに、憧れに近い感情で、私は写真を眺めているのかも知れない。篠山紀信は、写真家の中でもビッグネーム中のビッグネームだ。写真オンチとしては、ただただ鑑賞して、感じるものが何かあればという思いで作品の前に立つのみだ。
まず、モノによっては壁一面になるほどの大きさに戸惑い、最初は絵画を観ているような気がしたが、次第に、紀信ワールドなるものに包まれていった。これだけ大きく展開されると、写真表現における「空間」利用の無駄のなさ、というか、隅々にまで撮り手の神経が行き届いているのが、技術も感性もない私にも判る。
人物写真に於いては、被写体の素性が表れている。渥美清の写真は、寅さん。何度もそのポーズを取ったであろう、右手を挙げてニッコリ、というもの。変な書き方だが、どこからどう見ても寅さんだ。初見の人でも、どんなに気難しい人物でも、虜になる人懐っこさの塊だ。幾度となく見たポーズなのに、心根の温かさが伝わってくる。正に写真力だ。名曲は何回聴いても名曲なように、寅さんは何度見ても寅さんなのだ。それを気付かせる写真というのも考えてみれば凄い。いつもと同じなんだけど、ひと味違うんだ。
女優さんが、きちんと年齢相応に見えて、美しい。これも写真力だ。何のゴマカシもなく、各々の魅力を活写している。宮沢りえの若いヌードは、どこまでも明るく眩しい。吉永小百合は成熟しながらも透明感のある、大人の女性だ。森光子は、老境に到るも、人生をエンジョイしている姿が伝わってくる。この年齢だからこその笑顔なのだ。反・アンチエイジング。
歌舞伎関連の写真も興味深かった。特に、決め所の表情を大写しした物は、浮世絵の実写版のようだ。しかも(当然だが)、浮世絵よりも生々しい。一流の歌舞伎役者の一流の演技・表情だからこそ、日頃歌舞伎に親しんでない私でも惹き付けるのだろう。歌舞伎ファンはここから動けないんじゃないか。これ又写真力。
他にも、男女の肉体美への拘り、集団写真の醸す雰囲気、妙にリアルなディズニーランドのキャラクター達など、触れたいポイントは多々あるのだが、纏め切れないし、語り過ぎると必要なものを自ら見失う恐れもあるので、別の機会が有ればという事にする。
最後に、別会場に展示されていた『ATOKATA』と題された写真集からの作品群。東日本大震災をテーマとしたものだ。無惨に踏みにじられた生活の痕跡を写し出したものもあるが、何点か観て行く内に、もっと違う視点から撮られているような気がしてきた。日常の風景だった建物や樹木が、「大きな力」でねじ曲げられたり、破壊されたりしているのを観ると、人間の無力さ・小ささを痛感し、呆然としてしまう。被害の様子は、冷静に率直に撮影されている。篠山紀信は「自然の側」からの視点で描いているのではないだろうか。現実を直視しなければ、人間は先へ進めない。深い哀しみや心の傷痕を感じさせてくれる、これも写真力だ。
あらゆる文化・芸術活動は人間に力を与える為に存在すると思う。笑顔も、真剣な顔も、不思議な表情も、圧倒的な存在も、人々を充実させる為にある。実用的なモノは、勿論人生には必要だが、例えば、写真を眺めながら、自分なりに何かを感じる時間も、とても大事だ。写真力とは、写真にパワーをもらう意味でもあるかな。
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